無量寺 (世田谷区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 無量寺 (世田谷区)の意味・解説 

無量寺 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 15:16 UTC 版)

無量寺

山門
所在地 東京都世田谷区用賀4-20-1
位置 北緯35度37分41.9秒 東経139度37分54.7秒 / 北緯35.628306度 東経139.631861度 / 35.628306; 139.631861座標: 北緯35度37分41.9秒 東経139度37分54.7秒 / 北緯35.628306度 東経139.631861度 / 35.628306; 139.631861
山号 祟鎮山[1](すいちんさん)
院号 観音院[1]
宗旨 浄土宗[1]
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 文禄年間以前[1]
開山 光運社明誉寿広[1]
正式名 祟鎮山無量寺
別称 用賀観音
法人番号 7010905000327
テンプレートを表示

無量寺(むりょうじ)は、東京都世田谷区用賀四丁目にある浄土宗の寺院。

歴史

創建年代は、不詳なものの開山の光運社明誉寿広が文禄3年(1594年)に没しているのでそれまでには創建されたものと言われている[2]

当寺院は江戸にある西応寺の末寺である[3]

開山当初は大規模な寺院ではなかったが、江戸時代天明の頃、当地の住人が品川の沖で漁師の網にあげられたといわれている十一面観音像を、譲りうけて自宅で祀っていたものを無量寺に安置するようになってから、その観音像が「用賀の観音様」として多くの人が訪れるようになった[2][4]

観音像は12年に一回の年に公開される[4]

戦前までは当寺院において「お十夜」と呼ばれる観音像に因む行事が行われており、それに伴った信者たちによるレクリエーションなども行われ、大変な賑わいだったと言われている[4]

この他に境内には樹齢200年近くの銀杏の木がある[3]

主な施設

  • 本堂
  • 観音堂-1830年頃の創建と言われている。[4]

アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 新編武蔵風土記稿 用賀村.
  2. ^ a b 世田谷区教育委員会(1969)15-16pp.
  3. ^ a b 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年、112-113pp
  4. ^ a b c d 世田谷区教育委員会掲示板

参考文献

  • 世田谷区教育委員会編『せたがや 社寺と史跡(その二)』1969年
  • 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年
  • 「用賀村 無量寺」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ48荏原郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763982/15 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「無量寺 (世田谷区)」の関連用語

無量寺 (世田谷区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



無量寺 (世田谷区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの無量寺 (世田谷区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS