無神の旅あかつき岬をマッチで燃し
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| 出 典 | 蜿蜿  | 
| 前 書 | |
| 評 言 |  初出は、昭和38年5月号の「俳句」誌上。句集『蜿蜿』(昭和43年刊)所収。無季の句。 この句は、<竜飛岬>での句。 <竜飛岬>は、青森県、津軽半島の北端の岬。津軽海峡をへだてて、北海道の白神岬と対し、青函トンネルで結ばれている岬である。 この句には、自句自解があって、事実は、夜明けに、竜飛岬に立って、タバコに火をつけたということである。 しかし、この句を観賞する場合、「あかつき岬」は、<竜飛岬>であると限定する必要はない。 明け方の岬を遠望しながら、タバコに火をつけたと読みとればいい。 さらに、言えば、「マッチで燃し」という行為は、タバコに火をつける行為であるときめつける必要もない。 「燃し」という行為は、日常次元の行為であることを超えて、自然と積極的に関わろうとする詩的次元の行為であると感受した時、その行為が、作者の生き方と大きく関わりはじめるのである。 自句自解の中で、兜太は、「私は無神論者だが」と述べているが、本来、日本の神は、至るところに鎮座している。その数まさに八百万、<やおよろずの神>である。 神々は、どこにでも<坐(いま)す>ということは、どこにも<いない>ということと同義であり、それが「無神」ということである。 しかし、未明、「あかつき岬」を「マッチで燃し」た瞬間、作者は、神と遭遇する。 そして、神の生誕を、読者が共有した時、この句の観賞が成立する。 | 
| 評 者 | |
| 備 考 | 
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