無着道忠とは? わかりやすく解説

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むじゃく‐どうちゅう〔ムヂヤクダウチユウ〕【無着道忠】

読み方:むじゃくどうちゅう

[1653〜1745]江戸中期臨済宗の僧。但馬(たじま)の人。別号、葆堂・照冰堂妙心寺の竺印(ちくいん)に師事広く教禅の学を修めた妙心寺竜華院主。著「禅林象器箋」など。


無著道忠

(無着道忠 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 07:21 UTC 版)

無著道忠(むじゃく どうちゅう、承応2年7月25日1653年9月16日) - 延享元年12月23日1745年1月25日))は、江戸時代禅宗中の臨済宗妙心寺派の学僧である。諱は道忠.号は葆雨堂・照冰堂。

俗姓は熊田氏で但馬国兵庫県)の出身である。

生涯

最初出石如来寺で小僧となり、1660年、8歳で上洛し出家して、妙心寺龍華院の竺印祖門(1610年 - 1677年)の門弟となり、嗣法となる。

その後は紀伊国吹上寺の逸堂・越前国大安寺の黙印のもとに参禅、一旦帰京して龍華院に住し、1677年、25歳で、師の跡を継ぎ、龍華院の第2世に就任する。この頃すでに、禅籍などの講筵に加わり、大愚宗築門下の黙印について修禅にはげんでいた。また、各地の先学に教えを乞い、禅籍以外の仏典、漢籍、暦書、中国・日本の小説の類や古籍などの種々の分野にわたる諸本を渉猟した。そして、古版本や古写本の抄写や校勘を行なった。自ら禅籍の講説を行なうことも多く、注釈書や辞書の類を多く著し、その中で『金鞭指街』18において鈴木正三の仁王禅を、『正法眼蔵僣評』(正徳3年(1713年)による道元の『正法眼蔵』中の大慧への言及を、『黄檗外記』(享保5年(1720年))による黄檗宗隠元隆琦)をそれぞれ批判した。その緻密な方法による業績群は当時にあっては異彩を放っており、近現代になってからも、その学問的評価は揺らぐことがない。

1707年、55歳で妙心寺の住持となる。1714年、62歳の時に、妙心寺に再住。1722年、69歳で、妙心寺に三住する。1723年、70歳で龍華院に隠居。

延享元年12月23日(1745年1月25日)、92歳で没する。

主な著作

全374種911巻と称される程、数多くの著作を残した。

  • 『禅林象器箋』(1715年
  • 『葛藤語箋』(1744年)
  • 『禅林方語』
  • 『支那俗語』

以上、辞典類

  • 『虚堂録犂耕』(1727年
  • 『臨済慧照禅師語録疏瀹』(1726年

以上、註釈書

以上、校訂書

その他

  • 『小叢林略清規』(1684年
  • 『黄檗外記』(1720年
  • 『永平正法眼蔵拈錍』

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