無尽免許申請と内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 23:44 UTC 版)
その後も正規の金融機関として無尽業免許を目指し、同年8月19日に登記上の本店を実質的な事業地である高松市八坂町に移し、10月30日には会社の登記簿上の事業目的を金銭貸付業のみとした。そして無尽業免許申請を控えた翌1950年(昭和25年)3月10日には本店を六番町31番地に移転し、同月31日には寿殖産無尽株式会社に商号変更し、無尽免許を申請した。 この頃、無尽業免許取得に向けての体制づくりによって社内は一応のまとまりを持っていたものの、複数の代表取締役を置く多頭制経営の弊害により、香川派と徳島派に分かれた役員陣が職員をも巻き込んだ派閥争いを見せ、さらにその中でも旧千代田生命派と志度役員派が分派し、少数の中立派を交えて良識ある役員を嘆かせた。最終的にこの内紛を収束させる意味からも代表取締役を小西俊雄一人にし、創業に尽力した広瀬も会社から身を引いた。
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