烏坎村のその後の経過
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2012年9月21日に、烏坎村で抗議デモ1周年を記念し、同時に遅々として進まない土地問題の解決を訴えるため、100名余りの村民がささやかな抗議集会をした。一方で烏坎村の成功に刺激され、自分たちもと立ち上がった村も少なくない。烏坎村にもほど近い恵州市恵東県平海鎮河下村は、烏坎村と瓜二つの土地問題に直面し村をあげての闘いに挑んだ。しかし、同村の場合は、話し合いの糸口すら掴めず、厳しい弾圧をうけ20名もの逮捕者を出し、苦境に陥っている。2016年9月13日、陸豊市警は烏坎村に1000人以上の武装警察や機動隊を投入して、デモ隊への弾圧を行った。その際に陸豊市警は催涙弾やゴム弾を使用し、一方のデモ隊側も投石をして激しく抵抗したことで村民に数十人の怪我人が出た。当日、陸豊市警は村民約100人を拘束、13人を逮捕、逃走した5人を指名手配、5人に対して2万元(約30万円)の懸賞金を懸けた。また陸豊市警は、外部から烏坎村に人や車両を入れないようにして村を孤立化させ、外への情報流出を遮断した。
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