炊き出し、避難所の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「炊き出し、避難所の設置」の解説
住居を失うなど困窮した人たちのために炊き出し、そして避難所の設置も行われた。炊き出しは主に長瀬川流域方面で行われ、集落が全滅状態であった檜原村方面では少なめであった。炊き出しは10日間実施され、その後20日間は救助米が支給された。 そして檜原村の被災集落の住民でたまたま集落を離れていたために難を逃れた人々のために、猪苗代町新堀の民家を借り上げて避難所を開設した。避難所には世話人を2名配置して事務や被災者の支援に当たった。檜原村のほかに被害が大きかった磐瀬村長坂、磐瀬村見祢の被災者もまず猪苗代小学校に設けられた避難所に入所したが、その後に猪苗代町新堀の避難所に統合された。避難所の入居者は、家族が亡くなり取り残されて身寄りが無くなった者や、両親を失った子どもたちが多かった。なお、避難所が開設されていた期間については明らかになっていない。 そして家を失った人たちのために、家屋の再建費用に当たる小屋掛け費用の補助も行われた。1888年の磐梯山噴火災害の場合、岩屑なだれや土石流で集落が埋まってしまったケースが発生したため、前住宅地の近隣に集落を再建することをも考慮しながらの支給となった。
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