温彦博碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:54 UTC 版)
虞恭公碑ともいう。昭陵陪冢碑(しょうりょうばいちょうひ)の一つ。昭陵は長安城の西北方、醴泉県の東北50km、九嵕山に太宗が築いた自身の墓地である。この山を中心にして付近に諸王公主、及び功臣の墓を築くことを許した。最も早く葬られた温彦博(貞観11年(637年)6月没)は、太宗に仕えて尚書右僕射(しょうしょ うぼくや)となり、虞国公に封ぜられ、「恭」を諡された。碑文は岑文本の撰、全36行、各行77字である。ただし、この碑は古くから下部の大半の文字が侵されて滅しており、世に伝わる宋拓本も上半1行あたり20数字にとどまっている。
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