清作の妻_(1965年の映画)とは? わかりやすく解説

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清作の妻 (1965年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 03:15 UTC 版)

清作の妻
The Wife of Seisaku (英題)[1]
監督 増村保造
脚本 新藤兼人
原作 吉田絃二郎
製作 永田雅一
出演者 若尾文子
田村高廣
音楽 山内正
撮影 秋野友宏
編集 中静達治
製作会社 大映
配給 大映
公開 1965年6月25日
上映時間 93分
製作国 日本
言語 日本語
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清作の妻』(せいさくのつま)は、1965年6月25日に大映が配給した、増村保造監督、主演・若尾文子田村高廣による、ドラマ映画[2][3]。若尾文子は、この作品で第16回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した[4]。1965年度の第39回キネマ旬報ベスト・テンでは『宮本武蔵 巌流島の決斗』と並んで第11位となり、ベストテン入りを逃した。1924年、日活が同原作の同名の映画を村田実監督で映画化している。

あらすじ

病気の父と一家の生計助けるため、お兼は遥かに歳の離れた老人の女になることを余儀なくされた。老人は遺産を残して死んだが、お兼の父もまた他界した。お兼は母と、かつて村八分の扱いを受けながら暮らしていた村へと帰る。ある日お兼は、その村で模範青年として名高い、清作と出会い、やがて結ばれ、二人は幸せな時間を過ごしていたが、やがて日露戦争が始まり、清作は軍へと召集される。 そして、ある日負傷して帰郷する。やがて傷は癒え再び戦地に戻る日が来て、本人も軍国の模範青年たる気概で向かおうとするが、お兼と清作が二人になったとき、突然お兼が五寸釘で清作の両眼を刺す。お兼は2年の服役、清作は軍法会議行きとなったが戦地行きは免れる。 服役を終えお兼が戻った時、清作は「盲になり、卑怯者になってお前の心が分かった。お前がいなかったら、馬鹿な模範兵、世間体ばかりの阿呆だった」と礼を言った。

配役

スタッフ

  • 製作 : 永田雅一
  • 監督 : 増村保造
  • 企画 : 伊藤武郎
  • 脚本 : 新藤兼人
  • 撮影 : 秋野友宏
  • 編集 : 中静達治
  • 音楽: 山内正
  • 原作 : 吉田絃二郎
  • 助監督 : 岡崎明[5]

併映作品

脚注

  1. ^ 清作の妻”. 日本映画製作者連盟. 2022年9月28日閲覧。
  2. ^ キネマ旬報1965年5月下旬号 p.79
  3. ^ 清作の妻”. 日本映画情報システム 文化庁. 2022年9月28日閲覧。
  4. ^ デジタル大辞泉プラス「清作の妻」の解説”. KOTOBANK. 2022年9月28日閲覧。
  5. ^ 清作の妻”. 国立映画アーカイブ. 2022年9月28日閲覧。

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