浪花亭愛造とは? わかりやすく解説

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浪花亭愛造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 21:19 UTC 版)

浪花亭 愛造(なにわてい あいぞう)は、浪曲名跡。過去に3代続いたが一般的に愛造と言えば初代のことを指す。二代目は浪花亭愛昇、三代目は浪花亭愛国が名乗った。

初代

初代浪花亭 愛造(なにわてい あいぞう、1870年(明治3年) - 1906年(明治39年)9月1日)は明治時代の浪花節語り。本名は黒屋貞吉。

大分県中津生まれ。日本橋蛎殻町の米屋に奉公していたが、1891年(明治24年)に浪花亭駒吉の門弟綱吉(のちの二代目駒吉から駒幸)に入門し、愛造を名乗る。美声で艶やかな節調だった上、色白の好男子だったので女性に人気があったという。寄席の掛け持ちのために乗った人力車上の愛造を、引きずり下ろそうと、近隣の女たちが争って車を押さえ、離さなかった位だったという。桜川常吉により始められ、駒吉、戸川てるによって完成された関東節の約節を、さらに愛造が磨きをかけた。同時期に人気があった浪花節の二代目吉川繁吉、後の桃中軒雲右衛門と覇を競う。愛造は浪花節の導入部である外題付けの、「ご入来」と言われる従来までの決まり文句(卑俗な印象を与え、浪花節の代名詞となっていた)を改め、外題付けを演目内容に沿った美しい言葉に変えるなど、浪花節の水準を上げる努力をした。愛造、落語のブラック、「バセンザン」の奇術李彩の3人で「三国同盟」と称し、寄席に出演して人気を集めたこともある[1]

フレッド・ガイズバーグ来日時に行われた日本初のレコード吹き込みに際し、浪花節語りとして初めて録音をする[2]。数多く浮名を流した結果、脳梅毒に侵され[注釈 1]、36歳で早世する。得意としていた演目に「佐倉義民伝」「河内山」等がある。

脚注

注釈

  1. ^ ある時、数を5までしか数えられず、そこで病気を自覚したという。このエピソードについて、永六輔は「自覚症状があるくらいなら(脳梅毒に)冒されていなかったのではないかとも思うが」と著書で述べている[3]

出典

  1. ^ 平岡正明『快楽亭ブラックの毒落語』p.13
  2. ^ 「全集・日本吹込み事始」
  3. ^ 永六輔『芸人その世界』岩波書店岩波現代文庫, 文芸90〉、2005年(原著1969年)、315頁。ISBN 4006020902 

参考文献

  • 正岡容著/大西信行編「定本日本浪曲史」岩波書店p.85-87
  • 「全集・日本吹込み事始」EMIミュージック・ジャパン TOCF-59061~71



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