浄照寺_(豊田市)とは? わかりやすく解説

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浄照寺 (豊田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 13:34 UTC 版)

淨照寺
所在地 愛知県豊田市若林西町向屋敷62
位置 北緯35度01分53.5秒 東経137度05分57.7秒 / 北緯35.031528度 東経137.099361度 / 35.031528; 137.099361
山号 向島山
宗旨 浄土真宗
宗派 大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 永仁4年(1296年)
開基 存澄
文化財 本堂、庫裏、書院(国登録
法人番号 6180305005646
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淨照寺(浄照寺、じょうしょうじ)は、愛知県豊田市若林西町向屋敷62にある真宗大谷派寺院山号は向島山。本尊阿弥陀如来[1]。本堂、庫裏、書院が登録有形文化財。若林西町には同じく大谷派の円楽寺もある。

歴史

創建と改宗

永仁4年(1296年)3月、存澄によって碧海郡若林村字寺屋敷に天台宗の寺院として創建された[1][2]

室町時代には本願寺8世の蓮如上人が三河国で布教を行ったことで、永正元年(1504年)12月には天台宗から浄土真宗に改宗した[1][2]

近世

江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)、7世の代には無住だった時代もあるが、渡辺守綱の家臣である小堀弥之右衛門の子の宗哲によって再興された[1][2]

近代

1878年(明治11年)、16世の渡邊徹鑒は東本願寺法主の大谷光勝に見いだされ、清国東本願寺上海別院の総督に就任した[3][4]。徹鑒は2年後に帰国すると浄照寺に戻り[3]、1885年(明治18年)に本堂の建設に取り掛かると[2]、1898年(明治31年)に本堂が竣工した[5]。1899年(明治32年)には熊本市の第6師団での布教を命じられ、師団長の茨木惟昭中将らが大谷派に帰依している[3]

徹鑒の子である17世の渡邊徹到は真宗大谷大学を卒業し、大谷派の布教師として各地で布教活動を行うとともに、岡崎盲唖学校に勤務して生徒の宗教教育などを行った[3]。かつて本堂の正面には山門があったが、1926年(大正15年)の竜巻で倒壊した[2]。1934年(昭和9年)には書院が新築された[2]

太平洋戦争中、18世の渡邊実の代には金属類回収令によって梵鐘を供出した[1]。実は碧水という号を持つホトトギス系の俳人でもあった[6]。大正時代以降に副住職を務めた清水玄道は、仏教を通じた青少年の教化育成に尽力し、1918年(大正7年)には子供会の先駆けである真宗大谷派日曜学校を創設した[7]。晩年には村人によって玄道の頌徳碑が建立されている[7]

現代

戦後の1946年(昭和21年)10月に梵鐘を再鋳した[1]。1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では鐘楼が倒壊したが、鐘楼は1960年(昭和35年)に再建された[2]

2005年(平成17年)12月26日、本堂、庫裏、書院が登録有形文化財に登録された[5]。2011年(平成23年)には本堂の耐震化工事などが竣工した[2]。2013年(平成25年)には本堂の正面に山門が再建された[2]

境内

  • 本堂
  • 庫裏
  • 書院
  • 鐘楼 - 鉄筋コンクリート造。1960年(昭和35年)再建。
  • 山門 - 2013年(平成25年)再建。
  • 浄照寺のクロマツ - 豊田市名木。

文化財

庫裏

本堂は南東を向いて建ち、本堂の北東の書院が、書院の南東に庫裏が接続している[5]。本堂は入母屋造、桟瓦葺であり、向拝が付いている[5]。正面・側面ともに約20mの大きさであり、正面から吹放の縁、外陣、矢来、内陣、後堂と続く[5]

登録有形文化財

  • 本堂 - 木造平屋建、瓦葺[5]。建築面積480m2[5]。1898年(明治31年)竣工[5]
  • 庫裏 - 木造平屋建、瓦葺。建築面積251m2[8]。万延元年(1860年)竣工[8]
  • 書院 - 木造平屋建、瓦葺。建築面積97m2[9]。1934年(昭和9年)竣工[9]

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f 高岡町誌編纂委員会『高岡町誌』豊田市教育委員会、1968年、390頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i 『豊田市の寺社建築 2 真宗寺院』豊田市教育委員会、1986年、160-163頁。 
  3. ^ a b c d 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会『豊田市史 人物編』豊田市、1987年、572-573頁。 
  4. ^ 高西賢正『東本願寺上海開教六十年史』東本願寺上海別院、1937年。 
  5. ^ a b c d e f g h 浄照寺本堂 文化遺産オンライン
  6. ^ 『豊田市の文学碑』豊田市教育委員会、1981年、68-69頁。 
  7. ^ a b 高岡町誌編纂委員会『高岡町誌』豊田市教育委員会、1968年、425頁。 
  8. ^ a b 浄照寺庫裏 文化遺産オンライン
  9. ^ a b 浄照寺書院 文化遺産オンライン

参考文献

  • 高岡町誌編纂委員会『高岡町誌』豊田市教育委員会、1968年。 
  • 『豊田市の寺社建築 2 真宗寺院』豊田市教育委員会、1986年。 
  • 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会『豊田市史 人物編』豊田市、1987年。 

外部リンク




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