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津田正盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 01:50 UTC 版)

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津田正盛
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正11年(1583年
死没 寛文元年4月30日1661年5月28日
改名 新十郎、三入
戒名 三入
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉徳川家康松平忠吉徳川義直
尾張藩士(尾張衆)
氏族 岩倉織田氏津田氏
父母 父:織田信安
兄弟 織田信賢織田信家正盛、剛可正仲、女子二人
信明
養子:正方
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津田 正盛(つだ まさもり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士尾張藩士。家紋は織田木瓜。

略歴

岩倉織田氏織田信安の四男として誕生。

文禄3年(1594年)、徳川家康に初御目見後、大坂へ向かい豊臣秀吉に仕える(610石)。秀吉死去以後は家康に召し出され、関ヶ原の戦いでは東軍に従軍する。その後、松平忠吉附属となる。忠吉の尾張国清洲入府の際、先方案内したうちの一人である。清洲越しの後、大坂冬の陣・夏の陣に従軍した。徳川義直へ年頭拝謁の時、織田家の古家であることから必ず附家老成瀬氏、竹腰氏よりも先の待遇であった。

嫡子がなく、兼松正成の次男の正方を養嗣子にし、隠居する。隠居後に実子の信明が生まれ、津田家を実子相続させる願いを残す。

寛文元年(1661年4月30日病没。享年79。正方が家督相続するが、正方の死後、願い通り実子の信明が家督相続し、織田家の血筋が続くことになる。

系譜

脚注

参考文献




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