波多野修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 22:05 UTC 版)
Osamu HATANO | |
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基本情報 | |
名前 | 波多野 修 |
生年月日 | 1947年1月9日(78歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 80 kg (176 lb) |
国籍 |
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出身地 | 東京都 |
経歴 |
波多野 修(はたの おさむ、1947年1月9日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。
来歴
18歳からゴルフを始め、学習院大学[1]時代は1967年の関東学生で9位タイ[2]、1968年の関東学生では5位タイ[3]に入る。
卒業後の1971年にプロ入りし[1]、1977年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日を野口茂・金井清一・藤井義将・尾崎将司と並んでの2位タイ[4]でスタートすると、最終日には上野忠美・前田新作と並んでの7位タイ[5]に入った。
1978年の関東オープンでは初日、ラフが深いゆえにグリーンの難しさもあってアンダーパーは9人であった中、ハーフを4バーディーと好スタートを切り、5バーディーの67でまとめて首位に立った[6]。それまでは堅いプレーでスコアを一つでも縮めると、それをなんとか守り切ろうとするのが欠点であったが、関東オープン初日にはスタートからバーディーを取りまくり、途中からベストスコア賞30万円に執着して初のトーナメントリーダーになった[7]。2日目には猛暑とラウンド時間が6時間というスローペースに苦しめられたが、3アンダーとスコアを伸ばし、通算8アンダー136と2位に5打差付けて首位を守った[8]。2番でボギー、3番で3パットのダブルボギーを叩いたが、次のティーグラウンドに立った時には「気楽にバーディを取ればいい」と落ち着く[9]。その結果がバーディーで上手い具合に気分転換すると、8、9、10番と3連続バーディー、その後も3バーディー、1ボギーの独走状態となり、初めての2日連続60台での首位となる[9]。3日目には連日の暑さとピンの位置の難しさでスコアを崩し、通算4アンダーと後退して謝敏男(中華民国)に並ばれた[10]。最終日にはショートホールの6番で第1打をOBして崩れ[11]、上原宏一と並んでの10位タイ[12]に終わった。
続く関東プロでは2日目に69をマークして竹安孝博・小林富士夫・佐藤正一と並んでの7位タイ[13]、3日目には佐藤と共に金井・矢部昭・内田袈裟彦・草壁政治と並んでの6位タイ[14]に着け、最終日には68をマークして青木功・中嶋常幸・横島由一に次ぐと同時に金井・草壁・尾崎将・謝敏・山田健一・中川泰一を抑えての4位[15] [16]に入った。
1979年には全英オープンに日本予選から[17]出場[18]したが、初日、2日目共に79の10オーバーで[19]中嶋・横井ジョウジと共に予選落ち[17]に終わっている。
現在は神奈川県茅ヶ崎市のゴルフ練習場「茅ヶ崎フラワーゴルフ」インストラクター[18]。
脚注
- ^ a b “波多野 修 ハタノ オサム OSAMU HATANO”. www.smile-pga.jp. 2024年3月24日閲覧。
- ^ “昭和42年度第15回関東学生ゴルフ選手権 関東学生ゴルフ連盟”. www.golferweb.jp. 2024年3月24日閲覧。
- ^ “昭和43年度第16回関東学生ゴルフ選手権 関東学生ゴルフ連盟”. www.golferweb.jp. 2024年3月24日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p295 昭和52年4月9日朝刊15面「田野倉が首位に 阿蘇オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p358 昭和52年4月11日朝刊18面「野口、プロ入り初勝利 阿蘇オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p409 昭和53年7月14日朝刊17面「無名・波多野がトップ 関東オープンゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ」
- ^ a b 毎日新聞縮刷版p442 昭和53年7月15日朝刊18面「波多野が独走 8アンダー 2位に5打差 関東オーブンゴルフ第二日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面 スコアカード「好調の波多野 圧力に崩れる」
- ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面「金井が初優勝 プレーオフ謝敏ら破る 関東オープンゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p136 昭和53年8月5日朝刊16面「尾崎兄弟が一、三位 関東プロゴルフ第二日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p169 昭和53年8月6日朝刊19面「中島常抜け出す 関東プロゴルフ第三日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p181 昭和53年8月7日夕刊7面「乗ってる青木が逆転V 中島とらえ今季4勝目 関東プロゴルフ最終日」
- ^ “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】新千葉カントリー倶楽部。青木功は語る「中嶋は焦って負けた」1978年関東プロ”. golfdigest-play.jp. 2024年3月24日閲覧。
- ^ a b “過去の日本人選手の成績|第151回全英オープンゴルフ|テレビ朝日”. www.tv-asahi.co.jp. 2024年3月24日閲覧。
- ^ a b “料金・インストラクター | 茅ヶ崎フラワーゴルフ”. flowergolf.com. 2024年3月24日閲覧。
- ^ “全英オープン カテゴリ”. www.golfdendou.jp. 2024年7月3日閲覧。
外部リンク
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