法の中断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 14:01 UTC 版)
道鏡が称徳天皇の後見で太政大臣禅師に就くと、天平神護元年3月6日(765年3月31日)に墾田が過熱してきたので、墾田私有を禁止する旨の太政官符が発布された。 しかし称徳天皇が崩御し、光仁天皇が即位したことで道鏡が失脚すると、宝亀3年10月14日(772年11月13日)に墾田私有を許可する(が、百姓は苦しませないように)と言う旨の太政官符が発布された。藤原氏ら富豪や大寺院などの圧力により、再度墾田を許可することになったと考えられている。
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