油須木の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 02:20 UTC 版)
油須木という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国満家院のうちであった。鎌倉時代には税所氏の支配地であったとされる。南北朝時代になると守護島津氏の力が強まり建武4年(1337年)には比志島彦一に「満家院内 油須木四町」が与えられた。 満家院は島津氏の支配下に入り、近世初頭に比志島氏が移封されるまでは比志島氏の支配に属していた。比志島氏が移封されたのちは島津氏の直轄領となった。文明17年(1485年)には町域の北部にある上ノ原にて島津忠廉が寡兵をもって村田肥前守経安の軍を破った古戦場がある。
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