沖縄連合旭琉会の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:17 UTC 版)
又吉はコザ派の後身である山原派頭領の新城喜史(通称・ミンタミー)から、2度殺されかけている。1度目は、旧日本軍の西原飛行場跡に連行され、新品の鍬の柄が折れるまで殴打された上に、車の後ろに鎖で繋がれ引きずり回された。2度目は、自宅を出たところを背後からいきなりピストルで撃たれ、瀕死の重傷を負った。しかし、いずれも一命を取り留めたため、「不死身の男」「死を恐れぬ男」「スター」と呼ばれるようになった。 2度に渡る暗殺未遂の後、又吉は自身を殺害しようとした新城と手を結び、沖縄連合旭琉会を設立して新城と共に理事長に就任した。又吉は「これからは沖縄人同士がいがみあっている場合ではない。俺とミンタミーが手を結ばなければ、沖縄は本土ヤクザのものになってしまう。本当の敵はほかにいるんだ」と語り、沖縄のヤクザの間では、「スターさんの器はとてつもなく大きかった。スターさんは我慢の人だった。」と賞賛し、このことから又吉は沖縄ヤクザ史上最大のカリスマといわれている。
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