決戦関ヶ原大垣博
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決戦関ヶ原大垣博 | |
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![]() 大垣城
(外観改修前の復元天守) | |
イベントの種類 | 地方博 |
開催時期 | 2000年3月25日 - 10月9日 |
会場 | 岐阜県大垣市大垣公園 |
主催 | 決戦関ヶ原大垣博実行委員会 |
後援 | 岐阜県・大垣市・大垣市商工会議所 |
来場者数 | 748.246人 |
最寄駅 | 大垣駅 |
『決戦関ヶ原大垣博』(けっせんせきがはらおおがきはく)は、2000年(平成12年)3月25日から10月9日まで岐阜県大垣市大垣公園で開催された地方博。主催は決戦関ヶ原大垣博実行委員会、後援は岐阜県・大垣市・大垣市商工会議所、総来場者数は74.8万人[1]。
マスコットは「みつなりくん」と「いえやすくん」。「みつなりくん」は石田三成をデフォルメしたものとキツネの姿のものが、「いえやすくん」は徳川家康をデフォルメしたものとタヌキの姿のものがある。
開催の経緯
2000年が1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いから、400年になることで企画される。大垣市が中心になり、西濃地区全体の博覧会として位置づけられた。当初は大規模な博覧会を計画していたが、会場の広さや予算など様々な問題があり小規模となった。
パビリオン
- テーマ館は、決戦関ヶ原館、東芝DVD館、大垣城、大垣市郷土館の4箇所、大垣市郷土館は既存の施設が使用された[2]。
- NHKの大河ドラマ葵 徳川三代とはタイアップが行なわれ、撮影で使用した小道具や甲冑などが展示された[3]。
- コーエーの戦国シミュレーションゲーム「決戦」のプレイコーナーもあった。
- その他に関ヶ原の戦い当時の陣中食や、東西の味比べといった飲食コーナー、土産処などがあった。
交通関連
- メイン会場は、岐阜県大垣市郭町の大垣公園を一時閉鎖して使用。駐車場は会場内にはなく、大垣駅北口前のオーミケンシ大垣工場の空き地に専用駐車場を設け、シャトルバスを運行した。また、市内の有料駐車場も一部使用された。
- 決戦関ヶ原大垣博に関連して、イベントバスが運行された。
現在
- 小規模の地方博であったが、最終的には成功としている[4]。
- 会場であった大垣公園は2009年に再整備され[5]、大垣駅北口前の専用駐車場跡地は大規模商業施設アクアウォーク大垣(アピタ大垣店)が開業している。
脚注
出典
- ^ “大垣市議会だより 第5号 (2000年11月15日) 1頁”. (PDF) 大垣市議会. 2024年11月8日閲覧。
- ^ “広報たるい No.550 (2000年3月) 4頁”. (PDF) 垂井町役場. 2024年11月8日閲覧。
- ^ “博覧会資料COLLECTION”. 株式会社乃村工藝社. 2024年11月8日閲覧。
- ^ “大垣商工会議所125周年記念誌 22頁”. (PDF) 大垣商工会議. 2024年11月8日閲覧。
- ^ “大垣公園等再整備基本構想「第2章 大垣公園等の歴史と現状」10頁”. (PDF) 大垣市. 2024年11月9日閲覧。
関連項目
固有名詞の分類
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