池田謙三 (銀行家)とは? わかりやすく解説

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池田謙三 (銀行家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/25 01:14 UTC 版)

池田健三

池田 謙三(いけだ けんぞう、1855年1月20日(安政元年12月3日)- 1923年大正12年)11月29日)は、日本銀行家である[1][2]

略歴

現在の兵庫県豊岡市(旧・出石郡日高町宵田)に池田澄治の息子として生まれる[3][4]東京府庁勤務の傍ら漢学塾に通い内務省などを経て、1880年に生糸貿易に従事。1883年に原六郎に勧められ、第百銀行に入り取締役兼支配人に就任し、1912年に頭取となる。東京貯蔵銀行の頭取をかね、日本興業銀行台湾銀行設立委員会、東京交換所委員長、第一生命保険東京商業会議所特別委員、日進銀行各重役などを歴任した。墓所は品川区北品川東海寺

記念事業

矢野恒太記念会は、池田の顕彰を目的とした「池田謙三翁記念奨学金」を1957年に設立し、出身地の出石にある兵庫県立出石高等学校の生徒10人を対象に支給している[5]

人物

  • 執務上で心掛けている心得:「考えは出来るだけ緻密にして、行いは出来るだけ迅速果断にせよ」[6]
  • 日課:毎朝5時(夏季)ないし6時(冬季)に起床、30分ほど裏の畑を散策したのち、新聞6紙に目を通し、朝食は一家そろって摂る。朝食後、来客応対や各所訪問をこなし、朝9時には出勤。夕刻4時に退勤し、夜は各種会合に出席、帰宅は夜11時過ぎ。帰宅後、来信に返事を書き、就寝は夜中12時過ぎ[6]
  • 趣味:毎週日曜日の午前中に行う自宅裏の畑での野菜作りと、日曜日午後に行う散策。野菜作りについては「運動になって気持ちがいい」「育成の過程自体も楽しみで、また収穫物を食べるのも大いに楽しみ」としている。また、読書好きではあるが、多忙にて読書に充てる時間はあまりない[6]
  • 食の嗜好:食の好き嫌いは無し。大食はせず、ご飯は3杯まで。お酒は嗜む程度[6]
  • 性格:几帳面[6]

家族

  • 妻 よね
  • 父 池田澄治

出典

  1. ^ 日本人名大辞典+Plus,朝日日本歴史人物事典, デジタル版. “池田謙三とは”. コトバンク. 2021年4月9日閲覧。
  2. ^ 20世紀日本人名事典,367日誕生日大事典. “池田 謙三とは”. コトバンク. 2021年4月9日閲覧。
  3. ^ 池田謙三 (第4版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年4月9日閲覧。
  4. ^ 主な但馬地域出身者 - 但馬広域行政事務組合
  5. ^ 表彰・奨学金事業”. 矢野恒太記念会. 2021年4月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e 井上泰岳 編『現代名士の活動振り』東亜堂書房、1911年2月28日、223-230頁。doi:10.11501/777764https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7777642021年5月15日閲覧 

参考文献

  • 矢野恒太記念会(編)『池田謙三翁略記』、1981年

関連項目

外部リンク




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