江部淳夫
江部 敦夫 (えべ あつお、1877年 4月 - 1923年 12月4日 )は、日本 の教育者 。旧制高知高等学校 (現・高知大学 )の初代校長を務めた[ 1] [ 2] 。
来歴
新潟県 北蒲原郡 嘉山 (現・新潟市 北区 )で生まれる[ 1] 。尋常小学校 卒業後寺院に入ったが、後に京都市 の真宗大学(現・大谷大学 )に進学した[ 1] 。
1898年、早稲田中学校 に転学、5年生に編入される[ 1] 。第一高等学校 に進み、卒業時は川田順 と同窓であった[ 1] 。1902年 、東京帝国大学 文科大学(現・東京大学文学部 )社会学科に入学した[ 1] 。
東京帝大卒業後は文部省 に入省、第五高等学校 (旧制) の教授や督学官などを歴任した後、1922年に創立(開校は翌年)した高知高等学校の初代校長に就任した[ 1] 。当時満46歳だった江部は、全国で最年少の高等学校長だった[ 2] 。1923年4月16日の第1回入学宣誓式で約200人の学生を前に訓辞し、その中の「感激あれ若人、感激なき人生は空虚の生活なり」という一節は学生たちに感銘を与えて長く語り伝えられた[ 2] 。しかしすでに喉頭結核 に罹患していた江部は、同年12月に開校からの在任8か月で死去した[ 2] 。前記の訓辞などのエピソードから、「名物校長」として「神話化」とも評される扱いを受けた[ 3] 。
^ a b c d e f g 「旧制高知高等学校長 江部淳夫 (PDF ) 」 - 『広報とよさか』1999年11月号、豊栄市 、p.22
^ a b c d 丹野義彦 「旧制高知高等学校を歩いてみよう (PDF ) 」 - 東京大学教養学部、2016年、pp.19 - 20
^ 依岡隆児「旧制高校からみた「青春」概念の形成 (PDF ) 」 - 『東アジアにおける知的交流──キイ・コンセプトの再検討──』国際日本文化研究センター、2013年
高知大学 学長(高知高等学校長:1922年 - 1923年)
相良祐輔 2003-2012
脇口宏 2012-2018
櫻井克年 2018-2024
受田浩之 2024-
前身諸学校・大学長
(旧) 高知大学長
苫名孝太郎 1949-1953
阿部孝 1953-1957
久保佐土美 1957-1971
山岡亮一 1971-1981
西沢弘順 1981-1983
事務取扱/学長 関田英里 1983/1983-1989
中内光昭 1989-1995
立川涼 1995-1999
山本晉平 1999-2003
江部淳夫 1922-1923
事務取扱 鈴木卓苗 1923-1924
内藤馬蔵 1924-1927
西川順之 1927-1932
石倉小三郎 1932-1938
長岡寛統 1938-1939
山内雄太郎 1939-1941
佐野保太郎 1941-1946
事務取扱/校長 阿部孝 1946/1946-1950
高知医科大学長
平木潔 1976-1981
事務取扱/学長 森本正紀 1981/1981-1986
俵壽太郎 1986-1992
喜多村勇 1992-1998
池田久男 1998-2003