永禄12年の謙信の松倉城攻め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:20 UTC 版)
「松倉城の戦い」の記事における「永禄12年の謙信の松倉城攻め」の解説
永禄11年(1568年)、椎名康胤は甲斐国の武田信玄と手を結び、謙信に背き反乱を起こした。 永禄12年(1569年)に上杉謙信により松倉城を攻められた。しかし松倉城は天然の要害であり、容易には落ちなかった。百日間の攻囲の後、謙信は越後へ引き上げた。その後一旦は上杉氏との和睦がなされた様子。
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