永沼挺進隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/24 05:30 UTC 版)
永沼秀文中佐により挺進騎兵が軍総司令部に具申されるも騎兵はロシア側に敵わないとの意識から却下されたが奥保鞏第二軍司令官より永沼連隊は秋山支隊に配属され支隊命令で永沼挺進隊を発足する。挺進騎兵は秋山好古が『本邦騎兵用兵論』で必要性を説いた敵地深く侵入し後方撹乱する戦法であり永沼もその教えを受けている。永沼指揮の176騎と雇用した満州馬賊2000騎の馬隊でロシア戦線後方600キロにある大鉄橋爆破に向かうが警備が厳しいため目標を変更し新開河を爆破するも堅牢であったため橋脚完全破壊はできなかった。 しかしクロパトキンに176騎の隊を過大評価をさせミシチェンコ騎兵団含む3万の兵を後方警戒へ回させ、奉天会戦への参加を阻むことに成功した。1月9日から3月24日の2ヵ月半で日本騎兵の優秀性と存在意義を全軍に認識させた。
※この「永沼挺進隊」の解説は、「秋山支隊」の解説の一部です。
「永沼挺進隊」を含む「秋山支隊」の記事については、「秋山支隊」の概要を参照ください。
- 永沼挺進隊のページへのリンク