氷川神社_(所沢市本郷)とは? わかりやすく解説

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氷川神社 (所沢市本郷)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 06:19 UTC 版)

氷川神社
所在地 埼玉県所沢市本郷676
位置 北緯35度47分38.3秒 東経139度31分21.9秒 / 北緯35.793972度 東経139.522750度 / 35.793972; 139.522750 (氷川神社 (所沢市本郷))座標: 北緯35度47分38.3秒 東経139度31分21.9秒 / 北緯35.793972度 東経139.522750度 / 35.793972; 139.522750 (氷川神社 (所沢市本郷))
主祭神 素盞鳴命
社格 村社
創建 不詳
別名 本郷氷川神社
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氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県所沢市神社

歴史

創建年代は不明である。ただ江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』に記載されていることから、その頃には既に存在していたものと推測される。かつては旧家の「久瀬川家」の屋敷神であった。口伝によれば、寛永年間(1624年 - 1644年)に「コロリ(コレラ)」という奇病が流行した際[1]、久瀬川家の老婆が患者の看病に回っていた。ところが、この久瀬川家の老婆はコレラに感染することはなかった。人々が「何故疫病がうつらないのか」と聞いたところ、老婆は「屋敷の天王様を信仰しているから、病魔が近寄らないのだ。」と答えた。これをきっかけに久瀬川家の天王様を信仰する者が増え、遂に村に移管されることになったという[2]

明治以降の近代社格制度では、当初は「無格社」であった。しかし1908年(明治41年)の神社合祀により、村社の氷川神社を合祀したことから、当社も村社に昇格し、「八雲社」から「氷川神社」に改称した。また周辺の4社(摂末社含む)を合祀した[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 史実のコレラの日本初渡来は、約200年後の1822年文政5年)であり、関東地方にも流行したのは1858年安政5年)のときである。
  2. ^ a b 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、268-269p

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年



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