水野紀文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 00:29 UTC 版)
Norifumi MIZUNO | |
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基本情報 | |
名前 | 水野 紀文 |
生年月日 | 1941年2月25日(84歳) |
国籍 | ![]() |
経歴 |
水野 紀文(みずの のりふみ、1941年2月25日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
20歳の時にプロテストで合格し、以後15年間トーナメントで活躍[1]。
1971年の中日クラウンズでは初日に68、2日目には69をマークし、内田繁と共に通算3アンダーで首位の尾崎将司から3打差の3位に着けた[2]。
1972年の同大会では2日目に66をマークし、松井一敏・鈴村久・原孝男と共に首位のテリー・ケンドール( ニュージーランド)から4打差で続いた[3]。
1978年の関西プロでは2日目には69をマークして宮本康弘と並んでの首位タイ[4]に立ち、3日目には松井・中村通・上野忠美と並んでの9位タイ[5]に着けた。
1979年の日本オープンでは初日に2アンダー70をマークし、アマチュアの金子柱憲、上野・窪田茂・川村正己と並んでの首位タイ[6]でスタート。
1990年の中部オープン[7]を最後にレギュラーツアーから引退し、レッスン活動転身後は16タイプに分類した個別対応スウィング理論が圧倒的支持を受け、プロ野球がシーズンオフの10月から4月までの毎週金曜日にはCBCラジオ「スポーツ探偵団」キャスターを務めた[1]。
著書
- 「きみの先生はこの人です: 技術の迷路でフラフラするな」ぶんか社、1997年9月1日、 ISBN 4821105756
脚注
- ^ a b 日外アソシエーツ「スポーツ人名事典 新訂第3版」、2002年1月1日、ISBN 4816917012、p615。
- ^ “中日クラウンズ”. hicbc.com. 2024年3月29日閲覧。
- ^ “中日クラウンズ”. hicbc.com. 2024年3月29日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p136 昭和53年8月5日朝刊16面
- ^ 毎日新聞縮刷版p169 昭和53年8月6日朝刊19面
- ^ “第44回日本オープンゴルフ選手権(1979年)”. www.golfdendou.jp. 2024年3月29日閲覧。
- ^ “水野 紀文選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年3月29日閲覧。
外部リンク
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