盤具母禮とは? わかりやすく解説

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盤具母禮

(母禮 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 08:01 UTC 版)

盤具母禮(いわぐ の もれ、生年不詳 - 延暦21年8月13日ユリウス暦802年9月17日〉)は、古代東北地方の人物。大墓公阿弖利爲と同時期に蝦夷(えみし)の族長の1人であったとみられている。

名前について

である盤具の読みは、「いわぐ」以外にも異説がある。今泉隆雄によれば、この氏は蝦夷語の音写なので「いわ」のように日本語として意味を持つ訓読は避けるべきであり、「ばんぐ」または「はんぐ」が正しいとしている[1]

名である母禮(母礼)の読みは、「もれ」以外に「もらい」や「もれい」があり得る[1]。「もらい」だとすれば、前沢母体地区(21世紀現在の奥州市前沢生母)との関連が考えられる[2]

なお、母体地区を重視する観点から、元の漢字表記そのものが母體(母体)の誤りで、「もたい」と読むのではないかという説があり[3]高橋富雄もその提唱者のひとりだが、今泉隆雄は史料の誤字を前提とした説を批判している[4]

生涯

岩手県奥州市前沢の伝・母禮屋敷跡

延暦21年4月15日(ユリウス暦802年5月19日)、盤具公母禮は大墓公阿弖利爲とともに、種類500余人を率いて造胆沢城使・坂上田村麻呂の下に降伏した[原 1][原 2][注 1][5][6]。盤具公母禮の名前が史料にはじめてみえ、蝦夷の族長であったと思われるが、盤具公氏がどこを本拠地としていたかなどは不明である[6]

延暦21年7月10日(ユリウス暦802年8月11日)、田村麻呂にともなわれて阿弖利爲とともに平安京に向かう[原 3][7][6]

延暦21年8月13日(ユリウス暦802年9月17日)、田村麻呂は「この度は願いに任せて返入せしめ、其の賊類を招かん」と申したが、公卿は執論して「野生獣心にして、反復定まりなし。たまたま朝威に縁りてこの梟帥を獲たり。もし申請に依り、奥地に放還すれば、いわゆる虎を養いて患いを残すなり」と申し、公卿の意見が取り入れられたため捉えられ、母禮は河内国椙山にて阿弖利爲とともに斬られた[原 4][7][8]

年表

和暦 西暦 日付
旧暦
内容 出典
延暦21年 802年 4月15日 夷大墓公阿弖利爲と種類500余人を率いて坂上田村麻呂に降伏した 類聚国史
日本紀略
延暦21年 802年 7月10日 坂上田村麻呂に伴われて平安京付近に至った[注 2] 日本紀略
延暦21年 802年 8月13日 河内国椙山で斬られた[注 3] 日本紀略

関連資料

盤具公母禮が記録される資料

登場作品

テレビドラマ

脚注

原典

  1. ^ 『類聚国史』延暦二十一年四月十五日条
  2. ^ 『日本紀略』延暦二十一年夏四月庚子(十五日)条
  3. ^ 『日本紀略』延暦二十一年秋七月甲子(十日)条
  4. ^ 『日本紀略』延暦二十一年八月丁酉(十三日)条

注釈

  1. ^ 「種類」は「一族」を指す
  2. ^ 「田村麻呂来たる」とのみあることから、アテルイが平安京へと「入京」したとは解釈されていない[誰によって?]
  3. ^ 「河内国椙山にて斬る」とのみあることから、律令に照らして「処刑」とは解釈されていない[誰によって?]

出典

  1. ^ a b 今泉 2015, p. 171.
  2. ^ 今泉 2015, p. 173.
  3. ^ 胆沢町史2 1982, pp. 26–27.
  4. ^ 今泉 2015, pp. 187–188.
  5. ^ 高橋 1986, pp. 150–151.
  6. ^ a b c 樋口 2013, pp. 275–277.
  7. ^ a b 高橋 1986, pp. 151–152.
  8. ^ 樋口 2013, pp. 277–279.

参考文献

関連項目

外部リンク




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