殷皇后とは? わかりやすく解説

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殷皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 21:33 UTC 版)

殷皇后
南朝宋の皇后
在位 元嘉30年(453年

出生 不詳
死去 元嘉30年(453年
建康
配偶者 劉劭
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殷皇后(いんこうごう)は、南朝宋皇帝を僭称した劉劭皇后

経歴

宋の第3代皇帝・文帝皇太子・劉劭の妃(皇太子妃)となる。

元嘉30年(453年)に劉劭とその一党がクーデターを起こして文帝を弑逆し、自ら皇帝に即位(僭称)した際、殷氏は皇太子妃から皇后に立后された。

しかし、江州にいた劉劭の弟で武陵王の劉駿はこれを認めず、大軍を率いて長江を下り、建康に攻め入って劉劭を殺した。この際に劉劭の一族もことごとく処刑されることになり、殷皇后もその対象とされた[1]

処刑される直前に、殷皇后は「なぜ骨肉相争って、罪のない私までが殺されなければならないのか?」と叫ぶと、獄丞の江恪という人物が「皇后を受拝す、罪に非ずして何ぞ(貴方は皇后位を受けた。これが罪で無くてなんというのか)」と答えられ、処刑されたという[1]

脚注

  1. ^ a b 陳 1985, p. 245.

参考文献




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