死没者の処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 04:57 UTC 版)
通常は、川内町の徳島市立葬斎場で火葬されていたが、大空襲の死者は約1000人と多数であり、葬祭場での処理は不可能となったため、吉野川の河川敷で荼毘に付し、お骨をあげた。徳島市中に散在していた遺体の収容には警察があたり、火葬の作業は数名の市職員が行った。警察の命令で非戦災地区からいくつかの警防団が応援に来たが、死体の山を前に逃げ出す者が出るほどの悲惨さであった。 お骨は、一時的に下助任町の弘誓寺に納め、9月2日に同寺において県市共催の合同慰霊祭を行い、身元が判明したものから遺族に引き渡された。
※この「死没者の処理」の解説は、「徳島大空襲」の解説の一部です。
「死没者の処理」を含む「徳島大空襲」の記事については、「徳島大空襲」の概要を参照ください。
- 死没者の処理のページへのリンク