死後のマールバラ公家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:18 UTC 版)
「ジョン・チャーチル (初代マールバラ公)」の記事における「死後のマールバラ公家」の解説
マールバラには相続人として息子ジョンがいたが早世したため、マールバラ公家を守るために特別の措置がはかられ、爵位の相続権が女子にも与えられた。結果、マールバラの次女ヘンリエッタ・チャーチルがマールバラ公位を継承したが、彼女と夫の第2代ゴドルフィン伯フランシス・ゴドルフィン(ゴドルフィンの息子)との一人息子ブランフォード侯ウィリアムは1731年に死去してしまった。よって、ヘンリエッタの死後に、マールバラの外孫で3女アン・チャーチルと第3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサーの間の長男チャールズがマールバラ公の爵位を継いだ。 マールバラ公スペンサー家は後に初代公爵にちなんで姓をスペンサー=チャーチルに改め、現在に至っている。第二次世界大戦期のイギリス首相サー・ウィンストン・チャーチルはこのスペンサー=チャーチル家の分家の出身である。また、マールバラ公チャールズ・スペンサーの甥で同じくマールバラ公ジョン・チャーチルの血を引くジョン・スペンサーの子孫は後にスペンサー伯爵家となり、その子孫からイギリス皇太子妃となったレディー・ダイアナ・スペンサーが出ている。
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