死とハスモン朝の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/18 05:56 UTC 版)
「アンティゴノス (ハスモン朝)」の記事における「死とハスモン朝の終焉」の解説
紀元前40年頃、ヘロデはマルクス・アントニウスの支援を取り付け、元老院でユダヤの王に指名され、シリア経由でユダヤへ向かった。ヘロデはマサダに残る親族を救出し、エルサレムに迫った。ヘロデの弟ヨセフスが戦死するなど激しい戦闘が続いたが、シリア総督ソッシオスの援軍もあってヘロデ側に戦況は優位になった。紀元前37年9月、エルサレムは陥落し、アンティゴノスはソッシオスに降伏した。アンティゴノスは助命を嘆願したが、ソッシオスは彼を「アンティゴネー」(アンティゴノスの女性名)と呼んで嘲笑し、捕縛した。アンティゴノスは、アントニウスに引き渡されるべくアンティオキアに送られ、斬首された。アンティゴノスの死後、ヘロデがヘロデ朝を開き、ハスモン朝は滅亡した。
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