武見太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:49 UTC 版)
武見 太郎(たけみ たろう、1904年8月7日 - 1983年12月20日)は、日本の医師。日本医師会会長や世界医師会会長を歴任した。
注釈
- ^ 吉田からは「絶対に診察料を取るな」と厳命されていたという。米内には酒を適量なら飲んでもいいと言い、酒が好きな米内も「いい医者だよ。酒を飲んでいいと言ったからね」と上機嫌だったが、これは既に米内の病状が手の施しようがない程悪化し、せめて最期には好きなものを嗜んで欲しい、という配慮だった。しかし米内は肺炎で最期を迎えたため、結果的には杞憂にはなっている。なお「診察料を取るな」と吉田茂が言明したのは岡田啓介もいる。どちらも「お国の為に頑張った方だから」という吉田茂の配慮である。(阿川弘之「米内光政」(新潮文庫、1982年)ISBN 4-10-111006-9)
- ^ (本文から)サムス准将、そのとき大佐ですが、彼の部屋の前に厚生省の偉い人がちゃんとすわっていて、「おい、何でもいわれたことは、はいはいと聞いておくんだぞ。あとからごまかし方を教えてやるから」という。私はそこでカチッときた。ごまかし方を教えてやるからというのは、ちょっと聞きずてにならない。私はそれまで役人とはつきあいがなかった。(中略)私は喜んで出ていった。そうしたら、外に厚生省の役人の偉いのがまだちゃんと待っていて、「おい、どうした」というから「ふざけるな」といって帰ってきたのです。
出典
- ^ 日本医師会『日本医師会 戦後50年のあゆみ』、71頁 。
- ^ 新村拓『国民皆保険の時代 : 1960,70年代の生活と医療』法政大学出版局、2011年11月、73-73頁。ISBN 9784588312113。
- ^ a b c d e “武見太郎(1904~1983)|法華経に支えられた人々|法話|日蓮宗ポータルサイト”. www.nichiren.or.jp. 2023年10月18日閲覧。
- ^ 武見太郎氏についてのページ シーミンク(CMINC) 中央医療情報メーリングリスト
- ^ “世界で注目される日本の漢方医学保険はずし議論は時代の流れに逆行”. ダイヤモンド・オンライン (2011年5月19日). 2023年10月18日閲覧。
- ^ 慶應義塾大学医学部漢方医学センター センターの概要、2020-01-22閲覧
- ^ “武見太郎(1904~1983)|法華経に支えられた人々|法話|日蓮宗ポータルサイト”. www.nichiren.or.jp. 2023年10月18日閲覧。
- ^ 西岡昌紀が武見著からの抜粋を貼付・投稿したサイト - グアテマラ人体実験がニュースになった2011年に、医師で作家の西岡昌紀が、阿修羅掲示板に、武見著からの抜粋を添付した。
- ^ 毎日新聞昭和57年2月5日号
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