機関長・茨木少佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 12:53 UTC 版)
茨木機関の機関長・石島唯一少佐は、茨城県出身で、茨城弁を話し、「茨木少佐」と呼ばれていた。茨木少佐は幹部候補生から陸軍中野学校に入り、南支那派遣軍に属して広東各地でのスパイ・特務経験の後、南方軍総司令部参謀部2課(のち第7方面軍参謀部2課)に移り、第25軍参謀部2課付を兼務して1943年6月にパレンバン軍政部警務部特高科長に着任、同年9月のスマトラ治安工作での親オランダ分子の残置諜者の一斉検挙で功績を挙げた。 茨木少佐は、シンガポール入りすると、1944年の春に広東から日本人や台湾人の特務機関員・軍属・通訳を連れてきて浪機関の組織を強化し、1944年の暮れ頃、自ら茨木機関を立ち上げた。
※この「機関長・茨木少佐」の解説は、「茨木機関」の解説の一部です。
「機関長・茨木少佐」を含む「茨木機関」の記事については、「茨木機関」の概要を参照ください。
- 機関長茨木少佐のページへのリンク