棟貞王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 棟貞王の意味・解説 

棟貞王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 19:05 UTC 版)

棟貞王
(むねさだおう)
続柄 葛井親王王子

全名 棟貞 むねさだ
身位 従四位上
出生 不詳
日本
死去 不詳
日本
埋葬 日本
配偶者 あり
子女 清和天皇更衣貞純親王母)
父親 葛井親王(第50代桓武天皇の第12皇子
母親 不詳
役職 武蔵権守
テンプレートを表示

棟貞王(むねさだおう、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての皇族大宰帥葛井親王の子。官位従四位上武蔵権守

経歴

文徳朝斉衡3年(856年)二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙される。しばらく散位であったが、清和朝前半は貞観6年(864年下野守、貞観7年(865年越中守と地方官を歴任し、貞観8年(866年従四位上に昇叙される。のち、中務大輔に転じると、貞観12年(870年次侍従と、清和朝後半は京官を歴任する。この間の貞観11年(869年)には貞明親王(のち陽成天皇)の立太子を告げるために、春宮大夫南淵年名とともにを深草山陵(仁明天皇陵)・田邑山陵(文徳天皇陵)に派遣されている[1]

清和朝末の貞観18年(876年皇族として初めて神祇伯に任ぜられると、一時期山城守任官を挟んで、陽成朝から光孝朝にかけて神祇伯を務めた。

光孝朝末の仁和3年(887年武蔵権守として再び地方官に転じている。

官歴

系譜

脚注

  1. ^ 日本三代実録』貞観11年3月27日条
  2. ^ 日本三代実録』貞観15年4月21日条

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「棟貞王」の関連用語

棟貞王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



棟貞王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの棟貞王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS