梅若流設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 03:10 UTC 版)
梅若一門は集会を開き、以後は梅若流として活動していくことで一致したが、誰を家元とするかという問題で議論となり、結論はなかなか出なかった。この背景には、当時の梅若一門が実力拮抗する三人(五十四世梅若六郎、梅若万三郎、六世観世鐵之丞)によって指導されており、それぞれの弟子たちが自分の師匠を家元に推したという事情がある。また観世鐵之丞は観世分家の当主、梅若万三郎は五十四世梅若六郎の実兄であり、単純に五十四世梅若六郎を家元とするという形では議論がまとまらなかった。会議では三人が数年ごとに家元となるという交代制などの案も出たが、結局、梅若万三郎が家元となるという形で決着した。
※この「梅若流設立」の解説は、「梅若流」の解説の一部です。
「梅若流設立」を含む「梅若流」の記事については、「梅若流」の概要を参照ください。
- 梅若流設立のページへのリンク