梅津清中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 07:15 UTC 版)
梅津 清中(うめつ せいちゅう、安政元年(1855年)9月25日 - 昭和15年(1940年)7月27日)は、日本の政治家。元山形県南村山郡上山町長。[1]
来歴
山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。
上山藩医の梅津清明の三男として生まれる。幼少の頃、上山藩の漢学者浅野普平から漢学を学ぶ。
明治3年から、東京大学東校に学ぶ。
明治13年8月に山形県会議員改選に初当選、明治17年5月満期退任。
明治42年3月に山形県会議員補欠選挙に当選、明治44年9月満期退任。
大正12年6月8日から大正15年7月22日まで上山町長を務めた。
上山外八カ町村連合町村会議員、南村山郡全町村連合町村会議員、南村山郡会議員(4期)、上山町会議員(9期)などを務めた。
昭和9年2月21日から昭和13年2月21日まで再度上山町長を務める。
その後、亡くなる直前まで医業を続けた。
その他
性格は、きわめて温厚であったが、家人の躾は厳格。きれい好きで常に端正。隠忍自重物事に処するに慎重。人を信頼すれば、細かいことを言わない。過ぎたことは愚痴を言わない。
趣味は、書画、骨董、漢詩、植木等。
脚注
- ^ 『山形県議会歴代議員名鑑』山形印刷㈱、昭和48年3月24日、43頁。
- 梅津清中のページへのリンク