桜井吉晴とは? わかりやすく解説

桜井吉晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 14:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

桜井 吉晴(さくらい よしはる、? - 慶長10年(1605年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。越後国魚沼郡広瀬の地侍で、越後上杉氏家臣。通称・三介、三助。名を晴吉とするものもあるが誤記か。

略歴

天正6年(1578年御館の乱では上杉景勝を支持し、佐藤平左衛門らとともに広瀬城を守備し、翌天正7年(1578年)には下倉城に進軍して武功を挙げる。以後も平左衛門らとともに下倉城や栃尾城を牽制した。天正10年(1582年)からは越中に転戦し、天正12年(1584年根知城に配された。慶長3年(1598年会津移封後は檜原城に在城、慶長6年(1601年米沢移封後は260石を領した。

家督は慶長10年(1605年)に嫡子勘左衛門の次男義直が継いでいる。

登場作品

脚注

注釈

  1. ^ 役名は「晴吉(はるよし)」。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桜井吉晴」の関連用語

桜井吉晴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桜井吉晴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桜井吉晴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS