枝光八幡宮とは? わかりやすく解説

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枝光八幡宮

読み方:エダミツハチマングウ(edamitsuhachimanguu)

教団 神社本庁

所在 福岡県北九州市八幡東区

祭神 応神天皇 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

枝光八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/11 13:56 UTC 版)

枝光八幡宮
所在地 福岡県北九州市八幡東区諏訪2丁目1-5
位置 北緯33度52分18.6秒
東経130度49分12.6秒
座標: 北緯33度52分18.6秒 東経130度49分12.6秒
主祭神 神功皇后
応神天皇
須佐之男命
比売大神
建御名方神他
社格 県社
創建 建久5年
例祭 10月20日10月21日
主な神事 枝光祇園山笠
筑前御殿神楽
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枝光八幡宮(えだみつはちまんぐう)は、福岡県北九州市八幡東区にある神社である。旧社格県社

祭神

八幡神神功皇后応神天皇)・比売大神須佐之男命建御名方神を祀る。

歴史

建久年間に、筑前の宇都宮氏麻生氏)の祖・宇都宮重業が、生国の下野宇都宮から氏神の八幡神を勧請し、居城である花尾城鬼門にあたる宮田山に祀ったのに始まる。以来麻生荘の鎮守神として麻生氏より篤い崇敬を受けたが、麻生氏の衰亡とともに衰微した。慶長年間に入ると社領を没収される憂き目にあったが、寛永4年に現在の諏訪山の地に遷座しその祭祀を続けた。明治に至り村社に定められ、大正7年には諏訪山の地にあった諏訪神社を合祀。同15年には県社に列した。

『八幡』の由来

「枝光」の地名の由来は仲哀天皇が熊襲征伐の折、地元の豪族・熊鰐が真榊の枝に剣・玉・鏡の3種の宝物を下げて迎えたことから「枝三つ」=「枝光」と称するようになったという。また明治22年に枝光村・尾倉村・大蔵村の3村が合併することになった際、3村の鎮守神がそれぞれ枝光八幡宮(枝光村)・豊山八幡神社(尾倉村)・乳山八幡神社(大蔵村)であったため、八幡村と名づけられた。後に八幡村は八幡町、八幡市、八幡区と変遷し、現在でも八幡東区としてその名前は残っている。

参考文献



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