林小一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 04:36 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動林 小一郎(はやし こいちろう、1853年(嘉永6年4月[1])- 1926年(大正15年)8月10日[1])は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
美濃国加茂郡太田村(岐阜県加茂郡太田町を経て現美濃加茂市)で素封家・林市郎兵衛の長男として生まれる[2]。16歳の時、名古屋藩の隊伍に加わったのち、笠松の儒者角田欽江につき漢籍を修めた[3]。その後、1869年(明治2年)愛知県丹羽郡丹羽村の鷲津毅堂の塾に学んだ[3]。
農業を営む傍ら、岐阜県会議員に当選し、同常置委員を歴任[1]。地方産業の発展や鉄道敷設などに尽力した[1]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第6区から出馬し当選[1]。1904年(明治37年)3月の第9回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[1]。
親族
- 次弟:桑原善吉(貴族院多額納税者議員)[2]
脚注
参考文献
- 篠田正作 編 『明治新立志編』 鍾美堂、1891年 。
- 菊池武徳 『日本木材界人物伝 第2巻』 日本木材界人物伝編纂部、1928年 。
- 衆議院、参議院 編 『議会制度七十年史 第11』 大蔵省印刷局、1962年 。
- 林小一郎のページへのリンク