松江市営球場 (初代)とは? わかりやすく解説

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松江市営球場 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 13:33 UTC 版)

松江市営球場(まつえしえいきゅうじょう)は、島根県松江市学園南にかつてあった野球場。現在の松江市営野球場とは別の施設である。

歴史

1932年7月会場。両翼92.7m、中堅111.9m[1]

1940年10月14日、公式戦期間中に行われたオープン戦(練習試合)として、東京巨人軍阪急軍が山陰で初めて開催された。前日の10月13日に同じ組み合わせで公式戦(秋季連盟戦)を行ったその場で、大阪駅から夜行列車に乗り、当日午前8時29分に松江駅に到着するという強行軍の中で開催された[2]

その後は軍事高揚のためのグライダーの練習場として使われたのち、1949年7月に野球場が再開され、1950年6月29日に開催された毎日オリオンズ西鉄クリッパーズ戦で公式戦が山陰地方初開催となった[2]。その後6年にわたり10試合の公式戦が開催されたが、最終戦となった1955年5月22日に行われたトンボ・ユニオンズ対西鉄ライオンズの試合において、西鉄の仰木彬が当時のパシフィック・リーグ記録である1試合6安打(内訳:シングル3、2塁打1、ホームラン2)を達成した。[2]

しかし周辺の道路整備などの関係で1974年11月に行われた「さよなら行事」をもって閉鎖。地元の中高生らによる親睦試合などを開催して行われ、1978年、同市内の松江総合運動公園に整備・完成された新たな松江市営野球場に機能が移された。当球場の跡地はその後松江北公園芝生広場として整備されている[2]

出典

  1. ^ 松江市営(旧)(日本野球機構)
  2. ^ a b c d 【球跡巡り・第51回】「試合始め!」で行われた山陰初のプロ野球 松江市営球場(日本野球機構)



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