松平直平とは? わかりやすく解説

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松平直平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 13:11 UTC 版)

松平直平
まつだいら なおひら
華族画報社「華族画報」より
生年月日 1869年6月18日
没年月日 (1939-07-30) 1939年7月30日(70歳没)
所属政党 研究会
称号 従二位
配偶者 松平久
松平幸子
親族 義兄・松平康民(貴族院議員)
兄・松平直亮(貴族院議員)
義兄・細川護成(貴族院議員)
従兄・松平直哉(貴族院議員)

在任期間 1897年7月10日 - 1939年7月9日
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松平 直平(まつだいら なおひら、1869年6月18日明治2年5月9日[1][2][3]〉- 1939年昭和14年〉7月30日[2][3][4][5])は、明治時代から昭和時代前期の華族実業家政治家貴族院子爵議員。旧松江藩松平定安の四男[2][3]。旧広瀬藩松平直巳の養子[1][2][3]。通称は篤郎[3]

経歴

1874年(明治7年)2月、松平直巳の養子となり[1]1876年(明治9年)4月6日に直巳が隠居したため、同日に家督を相続した[2]1884年(明治17年)7月8月、子爵を叙爵[6]1897年(明治30年)7月10日より貴族院議員を務めた[7]。会派は研究会に所属した[5]。1939年7月9日に任期満了で退任し、同月30日に死去した[5]

そのほか、鉄道会議議員、経済調査会委員、東洋拓殖監事、同理事、日本畜産取締役、八千代生命保険取締役なども務めた[1][4]

栄典

親族

脚注

出典

  1. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』ま39頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、599頁。
  3. ^ a b c d e 『日本人名大辞典』1767頁。
  4. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』56頁。
  5. ^ a b c 研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 130コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、8頁。
  8. ^ 『官報』第2212号「叙任及辞令」1934年5月19日。
  9. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
広瀬松平家初代
1884年 - 1939年
次代
松平近義



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