東灌森稲荷神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東灌森稲荷神社の意味・解説 

東灌森稲荷神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 00:56 UTC 版)

東灌森稲荷神社


鳥居と拝殿

所在地 東京都北区東田端1-11-1
位置 北緯35度44分23.1秒 東経139度45分47.3秒 / 北緯35.739750度 東経139.763139度 / 35.739750; 139.763139座標: 北緯35度44分23.1秒 東経139度45分47.3秒 / 北緯35.739750度 東経139.763139度 / 35.739750; 139.763139
主祭神 宇賀之御魂大神
創建 不詳
テンプレートを表示

東灌森稲荷神社(とうかんもりいなりじんじゃ)は、東京都北区神社

歴史

創建年代は不明。太田道灌江戸城築城の際に方位神として祀った「方除け七稲荷(道灌七稲荷)」の一つである[1]

元々は現在の田端駅の辺りに位置していた。吉原遊廓まで続く道があり、吉原から逃亡した遊女がこの辺りで猛獣に付きまとわれて動けなくなるという言い伝えから「足止め稲荷」と呼ばれるようになった。そこから従業員の定着を希望する経営者らの信仰を広く集めるようになった[1]

明治になり鉄道用地となったため、近くに移転した。その後も道路拡張工事もあり転々とし、最終的に1950年昭和25年)に現在地に移転した[1]

鳥居

赤鳥居

石造の鳥居は、吉原遊廓の楼主だった尾張屋彦太郎が奉納したものである。「足止め稲荷」のご利益に感謝して建てられたものである[2]

また、参道に並ぶ十数本の赤鳥居は、鉄パイプ鉄板を溶接して赤く塗ったもので、他にはあまり例のない鳥居である。地元の鉄工会社によって建てられたもので、ほとんどが昭和40年代に建てられた。5年に1回ほど塗り替えするという[1]

道灌七稲荷

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 北区史編纂調査会 編『北区史(民俗編2)』東京都北区、1994年、369-372p
  2. ^ 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩(東京史跡ガイド17)』学生社、1993年、59-60p

参考文献

  • 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩(東京史跡ガイド17)』学生社、1993年
  • 北区史編纂調査会 編『北区史(民俗編2)』東京都北区、1994年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  東灌森稲荷神社のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東灌森稲荷神社」の関連用語

1
12% |||||

東灌森稲荷神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東灌森稲荷神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東灌森稲荷神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS