東側の遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 20:13 UTC 版)
堀の上幅は確認したところで13m以上、深さは最大で2.5m以上であることがわかった。土塁に関しては、土塁構築の際の整地層と盛土層を確認した。また、現況農道部分の掘り下げの結果、南北に平行して走向する溝2条を確認しており、明治時代の地籍図ではその溝の間の帯状区間が道路として利用されていることから、現在の農道はそののち拡幅したものであることを確認した。
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