来迎寺 (千葉市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 来迎寺 (千葉市)の意味・解説 

来迎寺 (千葉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/24 18:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
来迎寺
所在地 千葉県千葉市稲毛区轟町1-7-20
位置 北緯35度37分37.5秒
東経140度6分28.1秒
座標: 北緯35度37分37.5秒 東経140度6分28.1秒
山号 智東山
院号 聖聚院
宗旨 時宗浄土宗→単立
宗派 時宗当麻派→浄土宗鎮西派→単立
本尊 木造阿弥陀如来立像
創建年 建治2年(1256年
開山 一遍智真
文化財 市指定「阿弥陀如来立像」「来迎寺五輪塔」
法人番号 2040005000980
テンプレートを表示

来迎寺(らいこうじ)は、千葉市稲毛区轟町にある浄土宗系の単立寺院

由緒

1256年建治2年)に千葉貞胤の開基、一遍の開山により時宗の寺として創建されたという。もとは来光寺と号し千葉郡道場北(現在の千葉市中央区院内2丁目)にあり[1]、時宗の道場が置かれた。当麻派本寺の無量光寺の有力末寺で、中世の無量光寺の他阿上人はほとんどがこの寺の住職を経ている[2]

天正年間(1573年-1592年知恩院29世・満誉尊照によって浄土宗に改められた[3]1945年昭和20年)の千葉空襲により現在の轟町に移転し、その後に独立して単立寺院となった。

の名所である。周辺には宗胤寺や大日寺など、同じように戦災によって移転してきた千葉氏所縁の寺がある。

文化財

  • 千葉市指定有形文化財
    • 木造阿弥陀如来立像 - 13世紀後半のもの[4]
    • 来迎寺の五輪塔 - 千葉氏胤ら7基[5]

交通アクセス

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 千葉市教育委員会設置案内板
  2. ^ 座間美都治『当麻山の歴史』当麻山無量光寺、1974年
  3. ^ 『下総国旧事考』
  4. ^ 千葉市公式サイト
  5. ^ 千葉市公式サイト

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「来迎寺 (千葉市)」の関連用語

来迎寺 (千葉市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



来迎寺 (千葉市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの来迎寺 (千葉市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS