来日への過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 05:06 UTC 版)
「エスコラピオス修道会」の記事における「来日への過程」の解説
1949年12月2日、スペイン・バスク管区長フアン・マヌエル・ディアズ神父が、エスコラピオス修道会総会長ビセンテ・トメク神父宛に手紙を送った。その内容は、「日本の横浜教区に宣教師を送りたい」というもの。翌日の12月3日、同総会長神父は、バスク管区長宛に「横浜教区脇田司教と連絡をとって宣教師を送る約束をし、日本での宣教師の仕事を引き受ける」との手紙を送った。これら2通の手紙は、偶然にも行き違いだったが、バスク管区の神父達は神秘的な感じを受けた。そこで日本行きの志望者を募ったところ、26名にもなり、その中から、フェリチアノ・ペレス神父とペドロ・ルイス・ペレア神父が選ばれ、1950年9月21日スペインを発ち、10月3日に羽田空港に降り立った。
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