李粛
五原郡の人《董卓伝》。「李順」とする本もある《董卓伝集解》。 初平三年(一九二)四月、司徒王允は尚書僕射士孫瑞と一緒に董卓誅殺を計画し、詔書を偽作して呂布に与えた。そして騎都尉李粛と呂布の仲間の勇者十人余りを集め、衛士の制服を着けさせて未央宮の北掖門に潜ませた。董卓が馬車に乗って門外までやってくると、馬が驚いて歩みを止めてしまったので、董卓は心配になって引き返そうとしたが、呂布に勧められて門に入った。そこへ李粛が飛び出して董卓を戟で刺し、さらに呂布が矛で止めを刺した《後漢書董卓伝》。 呂布は詔勅によって、陝に駐屯する牛輔らを李粛に討伐させた。牛輔らがそれを迎撃して戦ったので、李粛は弘農に敗走した。そこで呂布は李粛を殺してしまった《後漢書董卓伝》。 【参照】王允 / 牛輔 / 士孫瑞 / 董卓 / 呂布 / 弘農県 / 五原郡 / 陝県 / 未央宮 / 北掖門 / 衛士 / 騎都尉 / 司徒 / 尚書僕射 |
李粛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/28 03:04 UTC 版)
李粛(り しゅく)は、中国史の人物。
- 李粛 (太守) - 後漢後期の人物。呉郡太守、後に南郡太守。潁川の人か。呉郡の陸康を孝廉に推挙したという(「陸績伝」引く謝承『後漢書』)。後に南郡の反乱鎮圧に失敗し、桓帝の怒りを買って処刑された(『後漢書』「南蛮伝」)。
- 李粛 (騎都尉) - 後漢末期の人物。騎都尉。
- 李粛 (孫呉) - 三国時代、呉に仕えた人物。
- 李粛 (北魏) - 北魏の人物。字は彦邕。酒癖の悪さで知られた。(『北史』李霊伝)
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