朱高燧とは? わかりやすく解説

朱高燧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 02:40 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

朱 高燧(しゅ こうすい、洪武15年12月19日1383年1月19日) - 宣徳6年8月29日1431年10月5日))は、皇族。趙簡王。

生涯

明の第3代皇帝永楽帝の三男。兄は朱高熾(後の洪熙帝)・朱高煦。子は朱瞻坺・朱瞻塙。1404年に趙王に封じられるが、父から寵愛を受けていたため、北京に留まることを許された。長兄の朱高熾とは不仲で、次兄の朱高煦と仲が良かったという。このため朱高煦の朱高熾廃太子運動に協力して朱高熾を父にたびたび讒言した。だが、自らの家臣である孟賢が反乱を計画して捕縛されると、朱高燧も永楽帝より召還されて処刑を命じられた。しかし不仲だった朱高熾が懸命に弁護したため、永楽帝は罪を許し、以後は朱高燧も朱高熾と仲直りして後継を支持したという。

1424年に父が崩御し、兄の朱高熾が洪熙帝として即位すると、加増を受けるなど重用された。洪熙帝時期が8カ月の短命に終わり、宣徳帝(朱瞻基)が即位すると、次兄の朱高煦によるクーデターが発覚し、朱高燧も連座として捕らえられた。しかし宣徳帝から証拠不十分で無罪として許されている。1431年に死去。享年50。簡王と諡された。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朱高燧」の関連用語

朱高燧のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朱高燧のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朱高燧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS