朱元璋の配下となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/14 08:32 UTC 版)
朱元璋は以前から胡深を知っており、召し出して会見した。左司員外郎の官職を授け、処州へ派遣した。兵を集め、江西征伐に従った。親軍指揮となり、吉安を守った。 1362年2月、処州で苗軍が叛き、守将・耿再成を殺害した。4月、平章・邵栄に従い、元帥・王佑と共に処州へ向かった。耿再成の遺体を収容して弔った。処州の城の東北門を焼き、陥落させた。李佑之は自殺し、賀仁得は縉雲に逃走したが、農民に捕らえられ、応天府へ檻送されて処刑された。
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