本因坊策元とは? わかりやすく解説

本因坊策元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/14 22:19 UTC 版)

本因坊策元(ほんいんぼう さくげん、延宝3年(1675年) - 元禄12年(1699年)は江戸時代囲碁棋士江戸生まれ、本姓は佐山上手本因坊道策跡目で、道策五弟子の一人と数えられる。法名は日雲。

本因坊道策の跡目道的の1690年の死後、元禄5年(1692年)、18歳五段で道策の再跡目となる。

「この時に兄弟子の桑原道節は争碁を望んだとされるが、道節は井上家を継ぐ。」という記述が当該項目にあったが、道節が井上家の跡目になったのが1690年で、策元が本因坊家の跡目になったのは1692年であり、時系列があわない描写である(道節が跡目をめぐって争碁を望んだのは道的の時のみと思われる)。

策元はこの1692年から御城碁に出仕して扶持を得るようになり、毎年出仕して7局を務めて6勝1敗の戦績を残す。元禄12年(1699年)に25歳で没す。跡目を二人続けて失った道策は、その後は跡目を定めることはなく、神谷道知の成長に期待をかけた。

御城碁戦績

 御城碁では、初年には安井知哲に先番13目勝。元禄9年、井上道節因碩に先番5目勝。元禄10年、4世安井仙角(定先)に白番11目勝などがある。

  • 1692年(元禄5年) 先番13目勝 安井知哲
  • 1693年(元禄6年) 先番3目勝 安井仙角
  • 1694年(元禄7年) 白番2目負 安井仙角
  • 1695年(元禄8年) 先番1目勝 安井仙角
  • 1696年(元禄9年) 先番5目勝 井上道節因碩
  • 1697年(元禄10年) 白番11目勝 安井仙角
  • 1698年(元禄11年) 先番8目勝 安井知哲

関連項目

参考文献

  • 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
  • 小堀啓爾高木祥一「夭逝した棋士たち(第4回 本因坊策元)」(『棋道』誌1998年4月号)

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