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木羽敏泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 14:31 UTC 版)

木羽 敏泰(きば としやす、1913年11月1日 - 2017年2月20日)は、日本の化学者教育者

経歴

1913年大正2年)大阪市に生まれる。大阪府立浪速高等学校を経て東北帝国大学に進学。1937年(昭和12年)同大理学部化学科卒業。1939年(昭和14年)金沢高等工業学校に勤務。1941年(昭和16年)名古屋帝国大学工学部助教授、1949年(昭和24年)金沢大学教授。金沢大学では理学部分析化学講座を担当した。1969年(昭和44年)同大学理学部長,1979年(昭和54年)同大を定年退職、金沢工業大学教授に就任。1984年(昭和59年)金沢工業大学学長。1988年(平成元年)任期満了により同学長を退職[1]

2017年2月20日、急性気管支炎のため金沢市内の病院で死去[2]

受賞歴等

  • 1959年(昭和34年)中日文化賞 - 強リン酸を用いる新分析法
  • 日本分析化学会学会賞
  • 1975年(昭和50年)日本化学会賞 - 分離分析法に関する基礎的研究
  • 1979年(昭和54年)金沢市文化賞
  • 勲二等瑞宝章

著作

  • 『純粋な物質』 創元社 1948年
  • 『試験管で出来る実験』 創芸社 1950年
  • 『海の科学・海洋の利用』(榊友彦との共著) 日本教育振興会 1950年
  • 『基礎応用定性分析』 朝倉書店 1960年
  • 『定性分析:基礎応用』 朝倉書店 1960年

家族

長男は山梨大学教授であった木羽信敏[3]

脚注

  1. ^ 木羽敏泰先生を偲ぶ”. 日本分析化学会 (2017年). 2022年8月3日閲覧。
  2. ^ 訃報 木羽敏泰氏死去/金沢工業大名誉学長”. 四国新聞 (2017年2月21日). 2022年8月3日閲覧。
  3. ^ 木羽敏泰『出身県別 現代人物事典 西日本版』p864 サン・データ・システム 1980年



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