木梨軽皇子の悲恋とは? わかりやすく解説

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木梨軽皇子の悲恋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 12:03 UTC 版)

允恭天皇」の記事における「木梨軽皇子の悲恋」の解説

即位23年木梨軽皇子立太子。しかし翌年太子同母妹の軽大娘皇女との道ならぬ恋に落ちてしまった。同母兄妹の恋となると皇族近親婚珍しくなかった当時でもさすがに禁忌であった即位42年天皇崩御。しかし暴虐行い女色溺れたと見なされた太子から人心離れ、弟の穴穂皇子へと移っていった。穴穂皇子恐れた太子密かに挙兵しようとした失敗し物部大前宿禰の館に逃げ込んだ。そこへ穴穂皇子が軍を率いて現れ、館を取り囲んだ大前宿禰はあっさりと太子裏切り最期悟った太子自害した。あるいは伊予配流されたとも言われる『古事記』拠れば太子伊予の湯(道後温泉)に流されたという。遺された軽大娘皇女はなお想いがつのるばかりで、ついに伊予へと向かってしまった。再会した兄妹喜び浸りながら自害し果てたという。この兄妹悲恋『古事記』における衣通姫伝説であり、允恭記の大半占め歌物語となっている。

※この「木梨軽皇子の悲恋」の解説は、「允恭天皇」の解説の一部です。
「木梨軽皇子の悲恋」を含む「允恭天皇」の記事については、「允恭天皇」の概要を参照ください。

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