木村昌平 (セコム)とは? わかりやすく解説

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木村昌平 (セコム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 05:09 UTC 版)

木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日[1])は、日本経営者セコム社長を務めた[2]北海道釧路市出身[2][3]

経歴

北海道釧路湖陵高等学校を経て[3]同志社大学文学部に入学。演劇活動に熱中し、映画監督に憧れていた。1966年に大学を卒業し、セコムに入社[2][3]

1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任[2][3]2005年4月に会長に就任[4]2016年6月に相談役に就任[1]。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった[5]

社外では全国警備業協会4代目会長[3][6]、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した[7]。全国警備業協会の会長としては、協会の一般社団法人への移行を手がけた[5]

晩年は知己の陶芸家の誘いもあって栃木県益子町に移り住み、講話会「益子昌平塾」を主宰[5][8]。益子大使にも任命されていた[9]。病気療養していたところ、2018年7月21日に死去。75歳没[1]

脚注

  1. ^ a b c 【訃報】 相談役 木村昌平 逝去のお知らせ”. セコム株式会社 (2018年7月27日). 2023年2月15日閲覧。
  2. ^ a b c d 人事興信所 2009, き27頁.
  3. ^ a b c d e 「<釧・根・人>大地が生んだ経営者たち*5*遠くから故郷にエール*木村昌平さん、瀬戸武さん、田崎孝さん」『北海道新聞』、2007年9月26日、朝刊27頁釧路版
  4. ^ 2004年 11月25日 日本経済新聞 夕刊 p3
  5. ^ a b c 木村昌平氏が死去 セコム、全警協会長を歴任”. 警備保障タイムズ. クローズアップ (2018年8月21日). 2023年2月15日閲覧。
  6. ^ 木村昌平会長が(社)全国警備業協会の新会長に”. 金曜コラム セコムニュース. セコム株式会社 (2010年7月9日). 2023年2月15日閲覧。
  7. ^ 塾長プロフィール”. 益子昌平塾. 2023年2月15日閲覧。
  8. ^ 木村昌平さん「偲ぶ会」 100余人が別れ惜しむ”. 警備保障タイムズ. クローズアップ (2018年11月1日). 2023年2月15日閲覧。
  9. ^ “移住した元セコム会長の木村さん 道の駅ましこにAED寄贈”. 下野新聞 SOON(スーン). (2018年4月26日). https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/31588 2023年2月15日閲覧。 

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第45版 上』人事興信所、2009年。 

外部リンク

先代
杉町壽孝
セコム社長
2002年 - 2005年
次代
原口兼正



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