木村利右衛門とは? わかりやすく解説

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木村利右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 05:12 UTC 版)

木村利右衛門

木村利右衛門(きむら りえもん、天保5年11月8日1834年12月8日) - 大正8年(1919年8月20日)は日本実業家

略歴

長男の重太郎(左端)は米国に留学し、のちに武藏野鉄道株式会社の取締役となった

明治大正期の貿易商。上総国千葉県望陀郡の豪農松崎儀兵衛の4男。生日には異説がある。養子として鈴木家、次いで木村家を継ぐ。岳父東作、養嗣子理左衛門。明治2(1869年)上京、4年横浜に移り、仲屋横浜店を開き繊維品取引で引取商としての地位を築く。

1880年(明治13年)横浜正金銀行(東京銀行)の設立に参画し取締役1891年(明治24年)には生糸売込業も兼ねた。1892年(明治25年)横浜共同電燈会社(東京電力)、1896年(明治29年)横浜電線製造会社(古河電工)の社長となる。1902年(明治35年)補欠選挙で互選され、同年7月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[1][2]、翌年6月18日まで在任[3]

横浜貿易商のなかでは一家言を持つ重鎮であった。著書に漢詩集『寧静詩鈔』がある。享年85。墓所は横浜市根岸共同墓地[4]

脚注

  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  2. ^ 『官報』第5721号、明治35年7月30日。
  3. ^ 『官報』第5988号、明治36年6月19日。
  4. ^ 『「高田商会」 高田慎蔵』”. 墓守たちが夢のあと. 2024年11月28日閲覧。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 朝日新聞出版(株)『朝日日本歴史人物事典』
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 内海孝「幕末維新期の引取商の出自と背景」(『横浜開港資料館紀要』1号)

外部リンク


先代
(新設)
横浜電線製造社長
1896年 - 1911年
次代
中島久万吉
先代
(新設)
大安生命保険社長
1914年 - 1919年
次代
大西正雄



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