朝廷軍の敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 22:19 UTC 版)
朝廷軍は巣伏の戦いで1061人もの戦死者を出した。その内訳は、戦闘による死者25人、矢疵を負った負傷者245人、溺死者1036人、裸で泳ぎ生還した者1257人と驚異的な惨敗であった。 巣伏の戦いで作戦の策定をおこなった入間広成、池田真枚、安倍猨嶋墨縄の3人は誰ひとりとして陣頭指揮を執らなかった。真枚は北上川で溺れていた中・後軍の軍兵を救出するために「日上の湊」に赴いたが、広成と墨縄はそれすらおこなわなかった。
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